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サイトの管理人、とびらのプロフィール

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とびらとは
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はい、どーも、とびらです!

ブログを開設して2年目でようやく自己紹介を書きます。このアイコンにもそろそろ見慣れてというか見飽きたころでしょうか?

いつも読んでくれる方から、プロフィールがあった方がいいんじゃない?とアドバイスをいただけたので書いていこうと思います。今まで書かなかったのは情緒と職が不安定で、「いったい私は何なのか」が分からなかったからです。

ショッキングな内容もあるかもしれませんが知りたい人は読んでください。ちょっと恥ずかしいですが。

簡単な説明

名前:とびら

名前の由来はTwitterアカウントを作成するときに一番初めに目に入ったのが部屋のドアだったからです。深い意味は全くありません。今はこの名前が気に入っています。次の扉を開ける!ってなんだか前向きな気がするからです

年齢

アラサーです。詳しくは言いません。おなごですから。

好きなこと/得意なこと/できること
  • 生き物や植物の世話が好きです。家には犬と文鳥がいます。2023年にウサギは永眠してしまいました。
  • 筋トレや散歩、ウェイクボードなど体を動かすことも好きです
  • アニメや漫画を見るのも好きです
  • 絵を描くことが好きです、サイトのアイコンなんかは全部自分で書いています。Twitterでも絵をかいて載せています。パンフレット作製やアイコン作成もさせてもらったことがあります
  • 音楽も好きです。シドとV6が大好きです。
  • 英語が少しできます。海外のお友達が日本に来た時の案内とかができる位の知識ですがノリと雰囲気でなんとかカバーしてます。
  • シンプルなものであればwebサイトを作ることができます。今勉強中です
苦手なこと
  • 人間関係の構築が苦手です。組織で仕事をしたり、グループや派閥なんかに所属するのが苦手
  • メンタルの切り替えが苦手です。引きずったり思い返してブルーになります
  • 字が下手くそです。母親は習字の先生レベルなんですが、私は汚くて字を書くことをことごとく避けて生きています
  • 数字を扱う事が苦手です
  • 細かい作業も苦手です
  • 子供が苦手です。極力近寄らないようにしています。
  • 集中できずすぐに違う事に興味が行きます

私の歴史

幼少期

お酒を初めて飲んだのは3歳、ライターで遊んでもらったこともあります。小学生になるまでライターの火は指で押さえて消すものだと思っていました。いろいろはっちゃけている父だったので、死ぬんじゃないか?と思ったこともあります。「男の子がよかった」と言われ私はいらない子だったのかと思いました。なぜか私のおもちゃだけが壊されて…はっちゃけすぎの父が苦手でした。お酒を飲んでいなければいい所も沢山あったので嫌いになれないのがけなげだなと思います。

6歳くらいまでは両親と暮らしていましたが。両親が離婚しました。

そこからはひいおばあちゃん、祖父母と叔母と母と弟とかなり大家族になりました。家に帰っても常にだれかがいてくれるのはすごく幸せでした。同い年の友達は男の子が多い地域でしたが、運動ができたのでその中でも打ち解けることができました。今もつながりがある子ばかりで非常にありがたいと思っています。

小学生

小学生の頃、1年間ほど不登校になりました。原因は今もよくわかっていませんが、同じ服を着て同じメンバーで教室にいることに息が詰まりそうだったのです。友人も心配してくれて、同じ地域の幼馴染たちは毎日プリントや連絡帳を持ってきてくれました。担任の先生や家族の支えもあり、何とか復帰しました。しかし、地理や分数なんかは今も分かりません。
不登校児でしたが、看護師になりたくて家にあった本を読んでいました。解剖が好きでした。

中学生

授業なんかは覚えていませんし、遅刻や早退が多かったです。勉強は地元の幼馴染たちが頭がよかったので、同じ塾に行っていたので成績だけは比較的上位をキープできていました。彼らがいなければ私はチャランポランタン人生だったと思います。

父ともこの時までは、時折あっていて中学校の卒業式に沢山のバラをもってきてくれた父のことはすごく大好きでした。あの時初めて自分からハグをしに行った気がします。

ただ、その時の私は全然素直になれなくて、家に帰ってから「こんなバラいらんよ。枯れるし。」なんて悪態をついていました。あの時の1本でも残していたらと今はすごく思います。それが最後のプレゼントだったのに。そのあと、アルコールで父は少しずつおかしくなりました。顔を見たのはそれが最後です。

このあたりからリスカやピアッシングなど自傷行為が出てきました。

高校生

下手に成績を取ってしまった分よくも分からず進学校に行ってしまいました。周りは頭がよく国公立大学を目指す人たちばかりで、看護専門学校でいいと思っていた私は一人冷めていました。嫌すぎてもしを白紙でだしたら指導室でめちくちゃ説教されたのを覚えています。嫌でもそんな環境にいれば知識が付きます。そしてなぜか大学に進学することに。この時出来た友達と呼べる人はたった一人だけです。

大学生

流行り始めていた医療系の大学に行きました。昔から看護師になりたかったので勉強や実習に関しては特に思い出もなく卒業しました。

というより、この時は学業より父が亡くなったことの方が衝撃的でした。誰も父の死を知らず。一人孤独に亡くなっていました。弟は未成年だったのですべての相続や法的な手続きをしました。今の夫は中学生からの友人でその時は別に彼氏がいましたが全く信頼できなくて、今の夫に一緒に警察署や裁判所などに出向いてもらいました。喫煙量がグッと増えたのもこの時期です。とにかくもう常に死にたかったし、自分を傷つけないと不安定で仕方なかった気がします。

社会人デビュー

メンタルが不安定なまま社会人デビューを果たします。これまでなんとなく何とかなってきた人生ですが、社会は厳しいですね。

やたら過干渉な先輩から、標的にされて毎日つるし上げでした。

患者様アンケートや上司からの評価はよかったので仕事ができなくてというより私という個人が気に入らなくていじめられていたという感じです。嫌味を言われるのが嫌で2年目からはある程度人より要領よくこなせるようになると一人で病棟の3分の1を見て、ナースコールもとって、オペ出しや緊急入院などを見ていました、10人以上を見て手術も多い時には2人以上見ていました。その時の患者さんとのエピソードなんて何も覚えていません。亡くなった方の顔すら出てこない。

何をしても噛みつかれるので仕事も忙しいし、嫌な先輩はいるしと3年でメンタルが撃沈し、なるべくしてうつ病と適応障害、睡眠障害になりました。

同じ系列内で急性期の病院から回復期の施設に異動して、人間関係がよくなっても仕事が早く終わると分かればいろんなことを頼まれて断っても違う事をさせられていました。結局人よりもたくさん働くのに給料はナースコールもとらない、詰め所で談笑している先輩看護師や管理職の方が高い。入院を何件とっても、仕事が遅くて入院もとっていないのに残業している看護師の方が給料が高い。そんな不満にあふれる日々でした。

結婚した

父の一件から今の夫と付き合い、社会人3年目に家を買い、結婚しました。

彼は本当にいい人で、私がうまくコントロールできない感情に任せて自傷行為や喫煙をしていたのも知っていました。彼のおかげで社会人になるころにはたばこも自傷行為もやめれた気がします。彼は感情のコントロールが上手な穏やかな人で、自己肯定感の低い情緒不安定な私でもいいと言ってくれました。

お金の勉強をはじめた

このあたりからどうしていいか悩むよりもどうしたいかを考える様に考え方を前向きにする練習をするようになりました。

そこでまず、正社員としての看護師をやめてもいいように、お金の勉強を始めて、投資をしたり副業をしたりとあがき始めました。とにかく逃げたかったのです。

誰かと仕事をするのに向いていない、私は自己中心的な人だから。自己肯定感が低いのはなんとなくでそれなりに上手く生きてきたから。何か自分が目標をもって達成すれば変わるかもしれない。変えれるかもしれない。やとわれ人は無理だから、社長になろうと思いました。

社会人経験を5年してきて学んだことを生かそうと…まだブレブレで不安定で病んだり、薬がないと眠れなかったり、無性に消えてしまいたくなることもあります。むかしのことを思い出して吐きそうになる日もあります。

だけど、自分が憧れた看護師という職業になれたし、自分で決めて挑戦した英語は完璧じゃないけどある程度海外のお友達と話せるくらいになった。もちろん、気合と伝えるという強い思いで何とかなっているところも多いけど。挑戦してよかった。ひたすら一人で自傷行為をしてどうしていいか分からなかったし行動できていなかった時よりは絶対かっこよくなった気がします。

少しでも。カッコイイ自分になりたいし、自分でできたことを増やしたい!そう思い知識も強いメンタルも、大金もないけど少しだけ勇気を振り絞って新しいことを始めていこうと決めてブログを始めました。

とっても長くなりましたね。ここまで読んでくれたあなた、すごくいい人です。ありがとうございます。

おわり。

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