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【黒って300種類あるねん】ブラックよりもさらにダークな漆黒の病棟生活を大暴露!~人生奮闘記:番外編~

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上司と私の奮闘記
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はい、どーも、とびらです!

この記事は私が仕事をやめようと思ったブラック病棟について書いていきます。ノンフィクションです。決して盛っていません。あまり詳しく書くと病院を特定されてしまいそうですが。ある程度を書かないと話が進まないので書いていきます。
コロナを経て看護師も例年の4倍の離職率をたたき出したそうです。この医療業界の闇…ちょっとのぞいていきませんか?

私の経緯

先日、プロフィールを記載しました。詳細はここに書いています。

その中で書いてあるのですが、新卒から3年間ブラック病院ではたらいていました。その病院ををやめる前に同じ法人内の病院に移っています。この記事では移る前の病棟勤務について書いていこうと思います。

これって普通なの?

病棟概要

私は新卒で急性期病院に入院しました。二次救急の病院だったので毎日かなりの数の入院や手術が行われていました。私はその中で整形外科に希望で入っていました。
※二次救急とは手術や入院が必要な重症患者に対応する救急医療です。 救急患者の初期診療、手術から入院に対応し、24時間365日体制で救急患者の受け入れをしている医療機関のこと

予定して骨折してくる人はいませんので、入院患者の80%が緊急入院でした。雨の日や風の日に大した用事でもないのに転倒し大腿骨頸部骨折をした人がそのうちの半分以上です。大腿骨頸部骨折とは高齢者が転倒すると最も骨折しやすい骨です。下に図を置いておきますので腰当たりの骨だなぁ。と思っていただければ幸いです。ここが折れると歩行ができないんです。なので、必然的に手術をする必要があります。詳しくはこちら


多い時は緊急入院が5件、予定入院が3件、手術が2件とそれを看護師5人で割って、入院している患者の担当もしていました。
スタッフの人数もいなかったのでひどい時は一人当たり10人以上の患者を見ながら手術や入院を見ていました。つまり合計すると13人くらい見ています。(※病院の説明には患者5人に対し看護師1名と書かれていました。国の定める方針でも患者7対看護師1が基本です)そして、ナースコールは若い3年目までが取るという謎のルールがありました。

もちろん中にはナースコールを取ってくれる常識的な先輩もいらっしゃいましたがほとんどは取ってくれません。「まだ終わってないの?」とコールの一つもとらずに言われることもしばしば…

夜勤は3人だったのですが夜中に緊急入院が来たり、認知症の患者が帰りたいと叫んだり暴れたり、5分ごとにトイレに行く人がなぜか常に病棟に1人以上いました。夜勤は本当にメンバーにすべてで、いい先輩と当たればどんなに緊急入院が来ても、手術後の患者が暴れても、認知症患者が寝ずに叫んでいても乗り越えられました。

今振り返ればどうやってあんなにカオスな病棟で仕事を終わらせていたのか…メンバーと早く帰るぞと言う気持ちって本当に大切ですね。

勿論毎日がここまで忙しいわけではありません。勤務数の80%がこんな感じのバタバタで、18%ががんばればなんとかなる、残りの2%が全員が定時で帰れる日です。(仕事の遅い人の分を手伝って)

ノー残業デーというものが制定されていましたが、その日に手術や入院の数が減ることはないので結局毎日誰かが残業していました。見捨てて帰らないと永遠に病院いいる人もいてました。自分の仕事だけして定時で帰ると後で叩かれるので。ビビりな私は+αで緊急入院1件や手術後の観察や委員会資料作成なんかをして少し残って帰っていました。

別の病院で働く同期に話を聞くと

  • 日勤は朝の7時から情報収集をして夜の10時まで(記録や委員会資料作成)をしている。残業代はつかない(本当は9時~17時30分)
  • 先輩にピッチを持たせてはいけない(ピッチは医療受持者が持っているケータイのようなもの。ナースコールや他部署からの連絡が入ります)
  • 家族対応や書類作成は新人の仕事
  • 先輩より先に帰れない
  • 先輩より後に来てはいけない

というのもありました。どこの求人ホームページにも「優しい先輩と…」「ワークライフバランス…」と笑顔でパンフレットに移る看護師がいるのですが、広告詐欺だと思います。

ストレスフルな患者と患者家族

認知症の高齢者が病棟の3分の1を常に占めていました。治療を安全に行うためにミトンや抑制帯、センサーを使用してもそれらをかいくぐり、点滴の針を抜いたり、手術後のドレーンを引きちぎったり、暴れて殴ってきたり、排せつ物を壁やベッドに塗りたくったり、自宅に帰りますと病棟から大脱出を試みたりとサファリパークよりもアグレッシブで刺激的でした。

患者家族もなかなかパンチきいておりました。絶対に転倒さないで、センサーや抑制をしないで、認知症が進まないように日中は3時間以上かまってあげて、看護師さんなのに優しくない、患者の言う事は絶対聞いてあげて。中には病院に連絡をして「ナースコールを押しても来てくれないって電話が来たんですけどどういうことですか!」と。鳴っていませんし。認知症の高齢者の話をそのまま鵜呑みにしないでください。寂しいんです。当時は面会がOKだったので面会に来てあげてくださいと強く思いました。

患者様からのご意見などでは匿名なのをいいことに「心無い奴は看護師やめろ」と書いていた心無い患者家族もいてました。ちなみに、退院の時期で分かってしまうのであまり意味はありません。退院を促すと「見れないから」と拒否していた家族でした。

若年看護師をやめさせることに長けたお局

看護師業界では有名な”お局”の存在。

  • 物を隠す
  • 聞こえる様に悪口を言う
  • 小さな失敗もつるし上げ
  • 派閥を作って行動に対して全て批判的な意見を言う
  • 上司の前ではいい先輩ぶる

書ききれませんね。思い出して気分が悪くなってきました。仕事を一生懸命して、医者やほかの先輩、患者から高評価をもらっていても、たった数人の嫌な先輩やお局のせいで辞めていってしまう看護師が多いです。

私も私の同期もそうでした。仕事量も人よりこなし、ナースコールも緊急手術も入院も急変も一般患者も看ていても、たった1つワゴンを直すのを忘れていただけで「ワゴン誰やねん。邪魔じゃ」と病棟の端まで聞こえる音量で叫ばれる。他スタッフが擁護のために状況を説明するも「ナースコールもとれへんし!」とさらにブチギレ。

嫌になっちゃいました。何をしても文句を言われる。同期ともう自分の仕事だけしようと決める今度はほかの先輩から「手伝って」「これもできるやんな?」と無茶ぶり。お局からは「仕事しに来てるんやんな!?」と詰められる始末。ナースコールもややこしい患者や家族対応も全部せずに詰め所で医者と騒いでいるだけで…

座っているだけの管理

自己管理が出来ない人はチームの管理も出来ない人が多い印象が確信に変わったのがここです。

わたしや同期がお局からイジメられているのはほかのスタッフはみんな知っていました。なので仲の良い先輩は勤務が被れば私たちを囲って擁護してくれましたが、多くの人は自分もターゲットにされるのが怖くて何もできませんでした。私が周りにいるスタッフでも同じように何もできなかったと思います。

本当に嫌で満を持して上司に相談しに行きました。夜勤を外すことはしてくれましたが、思った以上にお局が嫌だという声が多かったらしくそれ以上は対策できないと…

管理職なのに管理してくれない…問題のお局には科長から直接話をしたそうですが「あの子にも話したけど、変えられへんねんて」と言われました…は?と思ったのを覚えています。

このあたりから辞めようと思いました。この時に既に眠れない、手が震える、耳鳴りがする、音が飛ぶなどストレスによる症状が出ていましたが、かなり思い詰めていたので自分が悪いのかと自分を責める考えにいたっていました。

後で聞いた話ですが、その年は私を含めて1つの病棟で10人以上が辞めたり移動をしたりしたそうです。

理不尽な医者と多職種

※多職種とは薬剤師、リハビリスタッフ、放射線技師、社会医療福祉士などを総称した呼び方です。

担当している患者の薬がいつ切れる、点滴が無くなる、採血のオーダーを入れている日を覚えていない。電子カルテがあるのに全く活用できていない医者が多く、薬の切れや採血があることを伝えないと怒られました。

手術の終わる時間を17時30分や18時など日勤と夜勤の勤務の入れ替わり、患者のご飯時に設定して病棟を手薄にする。その間に転倒があったと報告すれば「何を見てたの」と詰められる。

家族に経過説明をしていなくて家族からクレームが来たことを伝え日程調整を促すとテキトーに説明しといてと丸投げ

手術前の抗凝固剤の切り替え、止めをこちらから言わないと指示を出さない

夜勤中に術後の患者の尿量が増えず輸液投与の指示をもらいたく当直コールすれば「寝てるんですけど」とキレられる

家族への説明するからとだけ言われて自分で電話しない(薬剤師もリハビリも全員看護師に行ってきましたが電話の使い方を知らないのか、私たちが一回も座れずお茶も飲めず、トイレにも行けないことが理解できないのか…)

いい先生は2人だけでした。何もかも看護師に言ってきて忘れたり抜けると「言いましたよね?」と言ってくるのは何なんだ。多職種に自分で電話してくださいと言うと電話したことないですと返ってきたので教育体制がずいぶん緩いんだなぁと思ったのを覚えています。

心身も休まらず、憩いの場でもない休憩

お局や嫌な先輩と被ればそこはもう地獄。飯の味なんてしません。ナースコールがなっていれば休憩中でも「鳴ってるで。」と。休憩とは何なのか。血糖値をあげるだけの時間でした。

仲のいい先輩や同期がいなければ3年は続かなかったと思います。休憩も夜勤もメンバーが全てでした。どんなにつらい業務内容でも素敵なメンバーなら頑張れましたが、どんなに楽な日でも嫌なメンバーでは病棟の窓から飛び降りてしまいたくなりました。

優しい先輩、同期たちとの別れ

私が異動する少し前に、仲の良かった先輩、同期が4名退職されました。

そして、守ってくれていた先輩の産休…そして、仲良しの先輩が後を追う様に5名異動…もうほとんど誰も残っていませんした。楽しく話せる同期、一緒に頑張ろうと励ましてくれた先輩。みんなあえなくなってしまいました。

残された私はとってもとっても寂しくて、辛かったです。

通らない辞表

上司も守ってくれない、仲の良かった同期は辞めた。守ってくれる先輩は移動になった。手伝ってくれる人がいなくなったから仕事の捌くスピードだけが上がっていき、いろんなものを任されて、ほかの人が終わらないからと業務をぎりぎりで大量に振られて定時で帰ることを阻止してくる…

そんなこんなで本格的にこれはダメだ。と思いました。

意を決して上司に「辞めます」と言いに行くと

  • 今辞められると困る
  • 入院や手術もあなたがいないと看れる人がいない
  • もう一度お局さんにも注意する

もう何もかも遅いですよね。でもその時はもうまともな思考回路ではなくブラック企業に洗脳されていたので「私が我慢するだけでいいんだ」「後輩にこの仕事量が行くのは可哀想」と思ってしまい、強く辞める決意を出せませんでした。

毎日毎日、自分の横を通る電車や車に当たれば仕事に行かなくていい?と考えていました。

辞表が通るには

その数か月後、睡眠障害、うつ病、適応障害になりました。職場に行こうとすると手が震えて過呼吸になっていました。

睡眠薬がないと眠れない、手が震えてシリンジ(注射器)が持てない。自律神経も乱れていたため聴力も落ちていて聴診器での音が聞こえなくなっていました。

こうなれば辞めますと言わなくても上司から「もう仕事出来へんやろ?辞める?」と聞いてもらえました。

ここにとっての看護師って使い捨ての駒なんだなぁと思ったのを覚えています。


やめようと思ったのですが、それを聞いた看護部長が他の施設に行って看護を続けなさい。と言ってくれました。そう、私は辞める前に一度異動しています。この話はまた違う記事で書きますね。

まとめ

書きながら思い出しでメンタル撃沈です。書き終わって泣けてきました。この記事はちょっと愚痴を書くみたいでポジティブではないですね。私が弱かっただけなのかもしれませんし、無意識にイジメられる原因を作っていたのかもしれません。でも、イジメていい理由にはなりませんけどね。

一番つらかったのは業務内容や拘束時間よりも、人間関係だった気がします。業務内容やスピード感は好きでした。

あの時の私に会えるなら、職場の人間関係なんてその場だけなんだからとっとと辞めてLINEもインスタも消してしまえばいいんだよと抱きしめてあげたいです。

実際にここの職場を離れるまでは「職場のみんなになんて言われるだろう」「仕事を辞めたら働けるのかな」「病気にもなってしまって、もうこの先もずっとこんな気分のままなのかな」とかなり澱んだ重たい気持ちでした。

しかし、離れてみてわかったのが、ある程度仲良くしてくれていた人でも連絡は辞めたその日だけ。食事も数回だけ。それ以降の遊びの誘いや食事の誘いはゼロ。少し寂しさもありますが、それだけ私の存在はちっぽけだったと気付けました。

ふとした時に職場の嫌なことを思い出している人は黄色信号です。
今、苦しくて、辛くて「辞めたいけど辞められない。」「周りからなんて言われるかが怖くて」と同じような気持ちになっている人に伝えたい。
あなたが辞めても職場は変わらない。あなたがつぶれても職場も、職員もだれも何もしてくれない。

あなたにあった職場や職がきっと出てくるはずです。今すぐ逃げちゃえ。続ける勇気があったあなたならきっと逃げる勇気も振り絞れます。

おわり。

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